親孝行したいという気持ちはあるけれど義務にはしない

以前は両親に対して「親孝行出来なくて申し訳ないな」という気持ちがあった。低所得の私は、両親を旅行に連れて行くというような事をした事が無い。

私自身、子供の頃に親と旅行などをした事が無いので、"家族で旅行をする"という意識が薄いという事も多少は関わっているが、やはりお金の問題の方が大きい。

その上、私は地元を離れ独身のまま自由な生活をしている。孫の顔を見せる事も親孝行の1つであるとするならば、それも出来ていない。

そんな感じで私には、親孝行が出来ていない事に「申し訳ない」という気持ちがあり、なるべく地元に帰って顔を見せるようにはしているし(年に4回)、何か欲しい物があればネット通販で探してあげたりもしていた。電話もかけたり。

いずれ親に介助が必要となれば、帰って手助けしながら暮らしていくつもりではいるし、そんな気持ちを伝えた事もある。旅行に連れて行く事は出来ないけれど、これが今の私に出来る精一杯の親孝行だと感じていた。それが子供として当然の役割だと思っていた。

しかし親孝行というのはボランティアと同じで、自分の心と体に余裕があるという事が大前提だ。余裕が無いのであれば、まずは自分の事を優先する必要がある。親孝行は大切な事ではあるが、"義務"と考えてしまうと、自分の生きる道に重くのしかかってしまう。

最近、時々母が「私は地元には何の未練も無い。都会で暮らしてみたい」と私も含め周囲の人間に呟いている事が気になっている。テレビでよく紹介されているような大きなアーケードの商店街がある街で暮らしてみたいと言う。

もし父が先に死んだ場合、私は母を東京に呼ぶのではなく私が地元に帰るつもりでいる。それは地元での暮らしに抵抗がある私にとっては不本意とも言えるけれど、地元で結婚している姉が近くにいた方が何かあった時に安心だからだ。

母が周囲に「地元に未練はない。都会で暮らしたい」と言っている真意を想像するに、「父が先に死んだら、ヅラ美と暮らしたい」という気持ちを遠回しに語っているのかなと思う。

さらに本当に「都会で暮らしてみたい」という気持ちがあるのだとも思う。気まぐれな母が言う事なので、ハッキリとは分からないが。

私はもちろん親孝行したいという気持ちはある。しかし、その思い(「将来的に面倒見るよ」という気持ち)を親から頼りにされてしまうと、それは違うだろう…と反論したい思いが生じる。私が「面倒見る」という思いを簡単に口に出すべきではなかったのかもしれないが…。

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親孝行はボランティアと同じで"義務"ではないと思う。状況に応じて余裕があればすれば良い。親の面倒を見る事も子供の義務にしてはいけないと思う。最終的にはやはり子供が手助けをする場合が多いけれど、それは義務ではなく子供が自ら進んでする事であって、親が子供に期待をするのは違うと思う。

親不孝なんて言葉もあるけれど、それを意識しすぎて子供が自分の思いを後回しにしたり、自分を責めたりする事は"子不幸"だと思う。とは言え、やはり自分を育ててくれた親なのだから、なるべくならしたいとも思うのが子心。子心は複雑なのだ。

私は、母にも父にも「子供に頼らないで生きる」という緊張感を常に持ちながら暮らしてもらいたいと思う。どうにもならなければ、私は必ず手助けをする。けれどそこに安心感を持って欲しくはない。困った事があればいつでも私に言って欲しい。けれど、できる限り自分の道は自分で歩む努力をして欲しい。

74歳の母が秋になると「なんとなく老い先短い感じがして寂しい」と言う。私はまだ36歳なので、母の「老い先短い」気持ちは理解できないけれど、秋の物悲しさは分かる。

分かるよ。

お母さんになるべく寂しい思いはさせたくないと思うよ。けれど。かと言って私はあなたを100%支えてあげる事は出来ない。家族とはいえ、私達はそれぞれ成人した1人の人間。だから、どうにか頑張ってなるべくギリギリまで自分で人生を歩んで欲しい。もちろん、何かあればいつでも手助けはするよ。