ほんの少し自分に自信を失いかけた時、私が心の中で考える事

私は爆笑問題が好きだ。ライブに足を運ぶ事もあるし、ラジオも楽しみにしている。

特に私は太田光さんを敬愛している。彼が語る自身の過去の話や、周囲が語る彼の人間性などを聞いているうちに惹かれるようになった。尊敬という気持ちとは少し違うのだけれど、太田さんのような人間に憧れがある(「政治を語る姿が素敵」というような事ではなく、もっと性格的な部分)。

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このブログを読んでくれた方から「何かの拍子に以前の自分に戻ってしまう事は無いか?あった場合はどうしているのか?」というメッセージを頂いた。ここで言う"以前の自分"とは、自信が持てず劣等感が強く、ネガティブだった頃の自分。

私は10代後半の頃、友人関係が上手くいかなくなった。今思えば、身勝手な性格だった事も原因の1つだと思う。また、外向的だとばかり思っていた自分の性格は本当は非常に内向的だった。その辺りから何かがこじれ始めた。

内向的である事、友人が少ない事、人付き合いが苦手な事、仕事が出来ない事、それら以外にも様々な要因はあったのだけれど、とにかく私は自分の事が嫌いで泣いてばかりいた。

でも今は自分を受け入れている。ブログを書き始めた事で自分の在り方についてよく考えるようになり、手がかりがありそうな本を読むようになり、誰かの声に耳を澄ませるようになり、自分の思いを明確にするようになり、自分の軸を持つようになった。

今の私は「何かの拍子に以前の自分に戻ってしまう」事は無い。自分を嫌って悲観的になる事は全く無い。しかし日常の中で、本当にくだらない小さな小さな"ふとした思い"が湧き上がる事は時々ある。

それは例えば、隣にいる誰かがこんな事を語った時。「先日友人4人で沖縄旅行に行ってきた」「友人達とみんなで出掛けるのはとても楽しい」「みんなでスキューバダイビングやバーベキューをした」。

そしてそんな話を聞いている周囲の人達が「分かる分かる」「私も行きたい!」「スキューバ最高だよね!」などと同調し始めた時など。これらは例え話だが。

私は海は好きだけれど、波の音を聞いたり眺めている方がいい。熱帯魚は好きで飼っていた事もあるけれど、海の中に入りたいとはあまり思わない。みんなでスキューバは…やりたくない。出来れば日陰で何も考えずに景色を眺めていたい。アクティブな遊びは得意じゃない。

こんな時に私はふと思う。「やっぱり私はつまらない駄目人間なのではないか」と。少々、思考が極端で痛々しいが、こんな風に感じてしまう事は時々ある。やはりアクティブな事を楽しめる人の方が多く、そういう明るく活発である事こそが正しいのではないか、と。

自分の感じ方に問題は無いと思うし、今の自分のままでいたいと思う。私は、自分という人間性を大切に思えるようになったのだ。もうあの頃の私ではない。しかし、強い劣等感を持っていた頃の自分から脱却しきれていない部分もあるのだろう。

無意識にふと感じてしまう。「自分は駄目な人間なのかもしれない」と。そんな時に私は「太田さんだったらどうだろう?」と考える。私が敬愛している爆笑問題の太田光さんはスキューバをやるだろうか?と。積極的に友達と旅行に行って、スキューバとバーベキューをするだろうか?と。

絶対やらないと思う。みんなで旅行に行くタイプではないと思う。もちろん私は太田さんの知り合いではないので、テレビ以外での本当の彼の事は分からない。

けれど著書を読んだりラジオを聴いたりしている限り、きっと太田さんも「俺はスキューバはいいよ…」と猫背になりながら、いつも座っているソファーでコーヒーを飲み、愛猫と過ごしているに違いない。

太田さんがそうなら私もこれでいい。

と、こんな風に私は自分に自信を失いかけた時「あの人ならどうするだろうか」と敬愛している人の行動を想像しては自分の在り方を再確認し、彼らと同じである事に安堵している。

敬愛の念を抱く相手は1人じゃなくていいしなるべく多い方がいいので、私は常にそういう人を探しているのだけれど、なかなか簡単には見つからない。あとは中島義道さんや池田清彦さんなど。

しかしやはり私自身がお笑い好きという事もあり、太田光さんを超える人は現れそうにない。なので、大好きな爆笑問題には末永く活躍していてほしい。

ふと思う。私は人間が苦手だけれど一部の人間の事がとても好きで、彼らをとても頼りにしている。私は好きな人間がいなければ生きていけないなと。やはり1人では生きていけないのだなと。