劣等感の塊だった私が、自分を受け入れる為にしてきた事は

以前「私はコミュ症だ」と書いた記事を読んでくれた方からメールを頂いた。私自身そういう記事を書いた事はもうすっかり忘れており、いざ読み返してみると何と言うか…気恥ずかしい。

あまりに気恥ずかしいので、もうその記事は削除してしまおうかと思っているが、そういう事を考えていた過去があった事は事実でもあるので、とりあえず削除する事は保留にしている。

何かしらのキーワード検索でこのブログに辿り着いてくれた方が、過去記事に共感してくれたりする事があり、それはとても嬉しいし有難いと思う。

ただ、このブログを始めて1年が過ぎ、私自身の考え方や気持ちに変化が現れ、その記事を書いた頃のネガティブ思考はすでに無くなっていたりもするので、過去記事を読んでくれた方と現在の私の温度差に少々申し訳無さを感じたりする事もある。

でもまぁアレだ。1年間ブログを更新してきたにも関わらず心に全く変化がなく、相変わらず1年前と同じ事を考えたり言ったりしているよりは、以前の自分の書いた記事を気恥ずかしいと思える方が健全だろう。成長したという事…だと思う、多分。

***

先日メールをくれた方から「自分を受け入れる為に、どんな事をしましたか?」という質問があり、色々な事を1日中考えた。一体私は何をしたっけ?と、すでにそこも忘れかけている。

そう。劣等感の塊だった私が自分を受け入れられるようになったのは、中島義道さんの本を読んだ事がきっかけだった。人と関わりたくなくて、思わず「人間 嫌い」と検索したらヒットした"「人間嫌い」のルール"という本。

当時、私は「アナタはあなたのままでいいんですよ」「自分を好きになりましょう」などと誰が読んでも頷けるような、ありきたりな言葉で構成された自己啓発本ばかりを読み、それに一瞬は癒やされつつも、何か物足り無さを感じていた。

「私は私のままでいいわけが無いし、好きになるってどうやって?その方法が知りたいんだよ!」と、自己啓発本にイライラすることすらあった。

そんな時に読んだ、世間とは少々掛け離れた価値観が充満した中島義道さんの著書は衝撃的で刺激的で、また自分の思いを代弁してくれたかのようで心底気持ちが良かった。

その本がきっかけとなり、その後に私がした事と言えば、自分についてよく考える事だった。自分がどんな人間で、どんな性格で、どんな性質を持ち、何が好きで、何が嫌いで、何に向いていて、何が不向きで、何が得意で、何が不得意で、何に興味を持ち、何を苦手とするのか。

普段の暮らしの中でも常にアンテナを張り、少しでも心に引っかかる事があればそれについてよく考えるようにした。なぜ私はそれに関心を抱いたのか、何に魅力を感じたのか、どんなところを嫌悪したのか、なぜ苛立ったのか、私は何をしたいのか、何をしたくないのか、どうしたいのか、どうされたいのか。

とにかく自己分析をして、自分の事を隅から隅まで観察した。自分という人間について発見した事はメモに取り、それを文章にしてブログに書く事で頭の中を整理した。

そんな風に自分の弱点や強み等がハッキリと分かってきたところで、不向きな事、嫌いな事などのマイナス要素はとことん無視した。そして、得意な事や好きな事、楽しい事、嬉しい事、向いている事など、自分の強みとなりそうな事にだけ目を向けるようにした。

1人で過ごす事が好きだし、誰とも話さない時間が好きだし、想像する事も妄想する事も好きだし、音楽を聴く事も鼻歌も、ラジオもお笑いも、ちょっと斜に構えた感じの人が書いたエッセイ本も好きだし、暇な時間も、車の運転も、カッコいい俳優も好きで、そして内向的な人間も好き。

そして得意な事はと言えば…残念ながら私には得意な事が無い気がした。けれど、こうしてブログを書き始めたことで、"考える"という行為や"思いを言葉にする"という行為は、わりと好きで、わりと得意なのかもしれないと感じるようになった。

そんな風に自分の強み(もしくは長い時間続けていても苦じゃない事)に着目し、それらを楽しみ追求し、嫌いな事や苦手な事はどこかへ放り投げて暮らしているうちに、気が付けば以前のような劣等感は消えていた。「世間の人が当たり前のようにしている事が私は上手く出来ないけれど、でも私にはこんな得意な事があるもんね!」なんて考えるようになった。

自分を受け入れる為にはどうしたらいいのか、その方法は個々によって違うと思うので、私は誰かにアドバイスなんて偉そうな事は出来ないし、当然するつもりも無いけれど、とりあえず「私はこうしました」というだけの話。

だけど、私がした事の方向性は間違っていないと思う、多分。

***

そう言えば。以前テレビで心理学の先生が「人は"詳しく知るモノ"の事は嫌いにはなれない」と言っていた。だから苦手を克服するには、それについて勉強し詳しくなれば良い、と。猫が苦手なら猫の事に詳しくなれば良い、と。自分の事を詳しく知る事が出来れば、自分を嫌いにならないのかもしれない。