「暖かい家庭を築きたい」とは思っていない私の性格と感情

いつ何が起こるかは分からないけれど、今のところ私は子供を産まない(持たない)人生を歩むつもりでいる。

子供が嫌いなわけではない。"はじめてのおつかい"を見れば号泣してしまうし、素直に「子供は可愛い」と思う。自分の遺伝子を持つ子供となれば、さらに可愛さ倍増だろうという事も分かる。

けれど子育てをしてみたいか?と問われると、うーむ…という感じだ。30代前半の頃には、子供が欲しいと思っていたけれど、今思えばそれはきっと世間体を気にしての事。

そんな私の思いは「子供はいらない」というのとは少し違う。もう少し言い方を変えれば、一般的に幸せだと言われている「暖かい家庭を築く」という事にそれほど強い憧れを抱いてはいないのだ。

お互いに理解し合える、お互いの考えを否定しない、そんなパートナーと人生を歩めたら…という思いはあるけれど、それと「暖かい家庭を築く」は私の中でイコールではない。

私としては、お互いがひとつ屋根の下で暮らす必要は無い。私は一人の時間を絶対に必要とする内向型人間なので、常に誰かと一緒にいる状態というのは神経をすり減らすばかりだろうと予想する。

夫婦がお互いに別々の部屋を持つというのであれば私にとっては都合が良いけれど、世間で言う「暖かい家庭」には子供部屋や、夫の書斎はあっても、母(妻)の部屋は無いだろう。

以前テレビで、新婚夫婦が安い中古物件を購入し、部屋を改造してオシャレで広いワンルーム空間(1LDKだったかな?)にしました…みたいな番組が放送されていた。

それを見た私が「これじゃ一人になれないね」と驚いていると、隣にいた母が「夫婦なんだから普通でしょ?」と言った。自分が子供の頃の事を思い出してみれば、私の両親だってずっと同じ空間で暮らしていたわけで、よく考えてみれば普通の事なのだ。

子供がいるお母さんで「自分の時間が無い」と嘆く声はよくある。夫や両親の協力があれば、時々は自分の時間を作る事が出来るのか、それともそれは現実的に難しいのか、独身の私にはよく分からない。

けれど彼女達は、そうは言っても家族に囲まれて暮らす事が、なんだかんだ言って幸せなのだろうと思う。それが一般的に多い考え方で、そういう家庭に憧れるという事が"当然"とされていると思う。

それを望まない私は冷たい人間に見えるだろうか?人生や人間関係に冷めているように見えるだろうか?いや、そんな事はない。家庭を築く事を望む人もいる。一人の時間も大切にして自由でいたい人もいる。生き方の違い。ただそれだけの事だ。

けれど私の思いは多数派ではない様子。暖かい家庭を築く事に憧れ、それを目指す事こそが「正常な心の優しさや温もりを持つ人間」であったり、家庭を持つ事こそが「大きな器を持った正しい人間」であるかのような風潮を感じるのは、私があまりに卑屈になっているからなのか?

最近はさっぱり連絡を取っていないけれど、10代の頃に地元でバイト先が一緒だった女性(現在35歳)は20歳で結婚し4人の子供がいる。上は中学生、下は多分3歳くらい。彼女は専業主婦ではなく働きにも出ている。以前、連絡を取った時「人生の中で一番忙しい」と言っていた。そんな彼女の存在は一時期、私を大いに落ち込ませた。彼女を見ては自分がいかに落ちこぼれかを確認し、劣等感は膨れ上がるばかりだった。

けれど今は、彼女と私の"性格の違い"を理解できるようになった。彼女は家庭というものに非常に向いている。そして私は全く向いていない。お互いの性格や人生は、全く別の方向を向いている。だから歩んでいる道が違って当然なのだ。私はきっと彼女のように子供と夫に囲まれた暮らしは出来ないし、彼女はきっと私のように1人では生きられない。

違う方向を向いて生きているだけなのに、おそらく世間から見れば、彼女は認められる存在で、私は呆れられる存在。だからか、夜に放送している「ママ大好き!」(生まれたばかりの赤ちゃんとママを紹介するミニ番組)を偶然見かけると、面白くないという感情が湧き出る。

それは幸せに暮らす女性に嫉妬しているのではなく、彼女達が世間から「正常」として扱われている事に私は嫉妬しているのだ。ママ大好き!を見ては嫉妬し、マツコデラックスさんが「マジョリティになんかなりたくない」と言えば嬉しくなる。

こうしてブログを公開すれば「分かるよ」と言ってくれる理解者もきっといると思う。けれど、実際の暮らしの中で理解者を見つける事は非常に難しい。