親への罪悪感と、自分だけ幸せになってはいけないという思い

このブログで、遠方に住む70代の両親に対しての思いを書く事がある。「両親の事が心配」「親の面倒を見る為、いずれは地元に帰る」「孫の顔を見せられず申し訳ない」というような内容。

先日は「親を思って悶々と考えてしまうのは、私自身が精神的に親離れ出来ていないからかもしれない」と書いた。関連記事:私は自ら望んで、親を優先した人生を歩もうとしているのか

私にとって特に母という存在は、何があっても私の味方をしてくれる人であり、女友達のように会話をしたり一緒に買い物をしたり食事をしたり出来る人。

友人が少なく、人との関係を積極的に築こうとせず、さらに夫や恋人という深い関係の相手がいない私にとって、母は親という立場と友人という立場と、相談事相手という立場を兼ね備えているオールマイティな人だ。

私の心を満たしてくれる唯一無二の存在であり、大袈裟に言えば私にとっては一心同体に近い。そしてそんな思いこそが、私の心の中にある"親への罪悪感"に繋がっているのだと思う。

私だけが幸せになるわけにはいかないと思う。親が寂しい思いをしながら生きているのに(希にそんな発言を親の口から聞く事がある)、私だけが好き勝手に楽しく生きては申し訳ないと思う。

地元を離れ関東で暮らす私の事を、母は「羨ましい」と思っているのではないかと感じる事がある。なので私は、なるべく楽しかった出来事は話さない。思わず話してしまった時には「しまった」と思う。

実際に母が私の事を羨ましいと思っているかどうかは分からないけれど、暮らしぶりについては「特に何もないよ」と淡々と話す事を心掛けている。

両親共に自立できている今は、自分の好きなように関東で生活をさせてもらい、いつかどちらかが自立出来なくなった時には地元に戻ろうと考えている。けれど本音を言えば、それは私が心から望んでいる事ではない。

私の本当の望みは、この関東という土地で(結婚は分からないけれど)パートナーを見つけて暮らす事。しかし頭の片隅には、常に田舎に住む両親への罪悪感がある。

だから私は「今だけ好きにさせて。何かあればすぐに戻るからね」と、自分の希望と、親にしてあげられる事のバランスで心に折り合いをつけている。

そんなふうに「いずれは地元に帰る」と考えているので、こちらで出会いを探す事にも躊躇してしまう。「親に寂しい思いをさせてまで、私だけが幸せになってはいけない。親が幸せでなければ自分も幸せになってはいけない」と思う。なぜなら(特に母は)一心同体だから。

そして私は、このような考え方をするべきではない事も分かっている。

私が親の為に自分の望みを抑えながら生きているという事を両親が知れば、2人は自分を責めずにはいられず、酷い自己嫌悪に陥るだろう。これでは本末転倒だ。

私の人生は私だけのものであり、親が今歩んでいる人生も親自身が自ら選んだ道であり、私達は一心同体なんかではなく、血は繋がっていても既に30代と70代という立派な大人同士という関係。

両親は私の子育てをとっくに終えており、私も本来なら動物の親子のようにしっかりと親離れをするべきで、もちろん時にはお互いに心配もするけれど、でもその気持ちを日々の暮らしの中で持ち続けてはいけない。

もしも心細くて誰かに寄り添いたいと感じても、一番身近で手軽なお父さんとお母さんに依存してはいけない。もう子供ではないのだから、世間の中から相手や居場所を自ら探し出さなければいけない。恋愛に限らず、仕事でも趣味でもいい。それが親からの精神的な自立というものだろう。

私は親離れしなければいけない。もう少し、軸をしっかりと保たなければいけない。割り切る強い心も持たなければいけない。そうしなければ親がこの世を去るまで、私はずっと親への思いに縛られて幸せになんてなれない。