不安になるのは、自分軸ではなく他人軸で考えようとするから

時々、自分が嫌になるのは「こんな時、他の人ならどうするだろう?」「私のこういう行動は、一般的におかしいのではないか?」と、自分の考えや行動を他人軸で考えてしまう事だ。

それが世間的にどう評価されるか?どんな目で見られるのか?自分の行動は"普通"なのか?それとも"欠陥"に値するのか?人から見れば恥ずかしい事なのか?皆も同じ事をしているのか?

自分の考えや欲求は世間離れしていないかどうか…そんな事を優先し、自分の気持ちは二の次になる。「ヤバイ」「イタイ」そんな風に思われないよう、なるべく世間一般に足並みを揃えようとする。

別に私の考えや欲求なんて大したものではない。芸術家のように性格や思考が世間から大幅に外れ、耐え難い生きづらさを感じているというわけではない。それらに比べたら本当に笑ってしまうくらい、ちっぽけで、しょーもないものだ。

それなのに私は、自分軸を忘れてしまう時がある。自分がどんな人間なのかを忘れ、世間を見渡し他人軸で考えようとする。すると当然「私は皆と同じ事が出来ないダメな人間だ」と無意味に落ち込み、自分を嫌悪する。

私の性格は多分、おそらく、多分、どちらかというと、マイノリティ寄りだと思う。別に選民意識を持っているわけではない。むしろ出来れば、皆が楽しんでいる事を私も一緒に楽しみ、仲間を作り、価値観を共有し、同じである事に安心したい。

バーベキューとか、飲み会やカラオケとか、同窓会とか、ホームパーティーとか、親睦会とか、二次会とか三次会とか、仲間とか絆とか和気あいあいとか。それを楽しいと思えたらどんなに楽かと。

「何か違うな、しっくりこないな、私はこれを好きではないな」と思った時、感じた時「皆はどうだろう?普通はどうだろう?私だけなのか?世間もそうなのか?」と考えてしまう。周囲と自分の感じ方の違いなんてどうでもいいはずなのに。

そんな感情になった時、私は「内向的な人に関する10のウソ」を読む。これを見ると、ついつい忘れがちな自分の本性を思い出し安心するのだ。「あぁそうだった。私はこういう人間だから、このままでいいんだ」と。何かを確認しなければ自分の中身を忘れてしまうなんて変だけど、それは今までの人生を他人軸で歩んできたからこうなってしまったのだと思う。

私は爆笑問題が好きなのだけど、太田光さんが以前「コンサートなど皆で楽しむよりも、部屋で一人でDVDを見たりして楽しむ方が好き」というような趣旨の話をラジオでした事がある。

私も、そういうタイプだ。けれど私は、それを人前で堂々とは言えない。さすがにこの歳になれば、無理に"皆で楽しむ事が好きなフリ"をしたりはしないが、それでも堂々と自分の本音を口に出来ない自分に苛立つ。だから私は、自分軸の考えを堂々と発言できる太田光さんや蛭子能収さんが好きだ。

自分軸を大切にする。自分軸で生きる。それは当たり前の事だけれど私に足りないもの。私が改善したい事。自分軸がしっかりと根を張っていれば、いちいち些細な事で悩まないだろう。軸がブレているから悩むんだ。自分はこうだけど、人はどうかな?と考えるから悩むんだ。

自分の性格に自信はないけれど、けれど私は自分の事が嫌いなわけではない。だから自分軸を大切にしなきゃと思う。私軸を一番に考えなきゃと思う。そうしなければ、一生不安がついてまわる事になる。